僻地せどり×情報発信で月収100万円 ~雇われないで生きていく時代~のブログにアクセスいただきありがとうございます
管理人の ひーさん と申します。
私は沖縄県に在住しており、海が大好きです。
2017年12月に、せどりと情報発信で月収100万円を副業で達成しました。
ある程度のお金を稼げるようになったので、2018年4月に会社を退職して自由気ままに生活しています。
稼ぐ目的を明確にしましょう |
まず、あなたがお金を稼ぐ目的は何ですか?
-
- 欲しいものを買いたい!
- 旅行に行きたい!
- マイホームがほしい!
- 借金を返済したい!
様々な目的があると思います。
人それぞれ目的は異なると思います。
お金を稼ぐに際して、まずはこの目的を明確化しましょう。
最終的な目標(目的)を設定することは非常に大切です。
まずは目標を達成するまでの道のりを逆算しましょう。
目標が定まっていないと、惰性で取り組んでしまい成果が出ません。
よくあるケースが、闇雲に取り組んでしまい時間とお金を浪費するパターンです。
これでは意味がありません。
まずは目標の達成に必要な情報だけを上手に取り入れるように意識してください。
私がお金を稼ぐ目的は家族のためです。
子供が大きく成長したときに、親の経済的な理由から将来の選択肢を狭めてしまうことはしたくないと考えています。
苦悩の日々 |
少しだけ私の経歴をお話します。
私がなりたかった職業はダイビングのインストラクターでした。
出身は東京だったですが、海が綺麗だという理由だけで、都内の高校卒業後に単身で沖縄の大学に進学して18歳で一人暮らしを始めました。
大学3年生のころに、アルバイトでコツコツと貯めた5万円でオープンウォーター(ダイビングの初級ライセンス)を取得。
その後、ライセンスを取得したダイビングショップに直談判の末、インストラクターになるまで見習いとして丁稚奉公(無給でお手伝い)をさせてもらうことが出来ました。
ショップでの業務内容は想像以上に過酷でした。
毎朝5時に起床して、車でお客さんをホテルまで迎えに行ってショップまで送り届けます。
次に機材の準備をしてお客さんにダイビングの説明をして海に行きます。
見習いなので、海には入らずに車で待機することもしばしば。
ダイビングが終わったらショップに戻り機材を洗います。
その後、お客さんをホテルまで送り届けます。
ここまでが午前中のスケジュールで、午後にも同様の業務を行います。
夕方17時まで手伝ったらショップを後にして、18時から23時までアルバイトへ行きました。
私は見習いなので、ダイビングの手伝いではお金は一切もらえません。
その代わりにインストラクターになるための経験を積ませてもらっている状態でした。
お金がないと生活もできないので、アルバイトで収入を得る必要があったのです。
こんな生活を1年ほど続けて、大学卒業間近に晴れてインストラクターになることができました。
インストラクターになるためには、自分の機材や試験などで総額50万円ほど必要だったので、必死でアルバイトで貯めた全財産をつぎ込みました。
見習いの経験と50万円の投資により、ついにプロのインストラクターとしてお金を稼ぐスタートラインに立つことがでたのです。
大学卒業後は、お手伝いをしていたショップにそのまま就職しました。
初めての給料は、なんと総支給で12万円、手取りで10万円以下でした。
1週間の労働時間は100時間をゆうに超えていたので、時給に換算すると200円くらいです。
この給料、ヤバイですよね 笑
でも、憧れの職業でお金を稼げることが出来るレベルになったという充実さが先行していたので、当時の私はこんなもんだと割り切って必死に働きました。
しかし、インストラクターになった最初の夏にその時は突然 訪れました。
勤めていたショップでダイビングの事故が発生してしまったのです。
事故が発生してしまったプログラムの担当ではなかったのですが、私は船が戻ってくる港まで大急ぎで車を走らせて救急車を呼んで待機していました。
すぐに救急に搬送されたのですが、その方は残念ながら手遅れとなってしまいました。
その日の夜に、本土から遺族の方が沖縄に来られるということで空港まで私が迎えに行くことになりました。
迎えに行く車中でハンドルを握りながら私は悩みました。
どんな顔で迎えたらいいのだろうか?今までずっと憧れて、念願叶ってようやく就いた職業なのにこんな仕打ちか…と。
悩み抜いた末、その翌月に私はダイビングのインストラクターを辞めました。
その時の私は好きなことを仕事にすることの難しさを痛感して精神的にボロボロの状態でした。
しかし、全くお金がない状態だったので、すぐに収入を得る必要がありました。
そして、ただの思いつきから全くの未経験だったITエンジニアの道を歩み始めました。
この仕事を選んだ理由としては、ITの需要は衰退しないので永く働けるだろうという判断でした。
ITは素人でしたが、入社さえすればすぐに給料がもらえるうえ、不足している知識は勉強で習得が出来るので、ダイビングの仕事のような過酷さはないという点でも魅力的でした。
しかし、この時から生活の為にと割り切って仕事を続けなくてはならない苦痛な日々がはじまりました。
でも、これが当たり前なんだ、周りのみんなもそうじゃないか。と自分に言い聞かせることで無理やりに納得をさせていました。
エンジニアに転職して得た給料が手取りで20万円。この収入で細々と生活を続けていました。
せどりとの出会い |
転機が訪れたのは、念願だったマイホームを建てようとした時の出来事でした。
将来の資金計画を練るために、ファイナンシャルプランナーと打ち合わせをした際に私は絶望しました。
何とか家を建てることは出来るものの、今の状態だと子の学資や家族旅行などの交遊費が全然足りなかったのです。
提示されたプランでは、子供が私立や海外の大学に進学したいと言った時に叶えてあげることが出来ず、県内の国立大学がやっとの状況でした。
家族旅行についても海外旅行など程遠く、せいぜい4年ごとに東京へ旅行に行けるくらいでした。
将来の可能性の低さが浮き彫りになったとなったと同時に、親として経済的な幸せを与えることが出来ない状態であることに気づかされました。
その時から、何かよい副収入はないかと探した結果、せどりに出会いました。
本当に稼げるのか?という疑念はあったものの、しっかりと取り組むことで収入は増えていき、家の中も仕入れた商品であふれかえる状態でした。
そして収益も右肩上がりに成長していきました。
2016年7月 月商10万円(利益2万円)
2016年12月 月商250万円(利益60万円)
2017年12月 月商600万円(利益150万円)
2018年4月 情報発信収益100万円
副業でも必死に取り組んだ結果、このくらい稼ぐことが出来ました。
この時に、自分の生き方について考えなおしてみました。
今のように、生活のためと割り切って仕事に固執したまま 本当にやりたいことを諦める人生を送るのか?
仕事に従事していた時間を他の稼ぎに費やせばもっとストレスなく大きく稼ぐことが出来るはず!
もっと自分の可能性を最大限に発揮したい!一度きりの人生で、たった今も貴重な時間が浪費されている!という焦燥感は消えることはありませんでした。
この考えから、会社の責任で仕事をすることに全く魅力を感じなくなっていました。
安泰と思っていたIT業界も、外国からの優秀な人材流入や、技術革新の影響により将来的に続けていくことができる業種であるのか不透明な状態になりました。
そして、ついに10年以上続けたサラリーマン生活を辞める決意をして、2018年4月に脱サラして今に至ります。
今では、好きな時に仕事をして、海況が良ければいつでも海に行ける生活を送っています。
定職に就かないことは世間的には非常識に映るかもしれません。
でも、他人の目の色を気にしていても意味はありません。
常識は自分の中で作ってしまえばいいのです。
現在では、会社員を続けていたら到底 叶えることのできない生活を送っています。
このブログでは、あなたの精神的・経済的な自由を手に入れるお手伝いをするうえで必要な情報を発信していきます。
LINE@では電脳せどりの商品紹介など有益な情報をリアルタイムに配信しています!